【義烈空挺隊慰霊碑 訪問】
先日、参政党の党員さんに企画していただき、
2回目となる健軍駐屯地内の
義烈空挺隊慰霊碑を訪問、
献花をさせていただきました。
私も息子を連れて行きましたが、
党員さんたちも夏休みのお子さんや
お孫さんを連れて来られ、
共に学ばせていただく良い機会となりました。
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義烈空挺隊とは、大東亜戦争末期の
昭和20年5月、アメリカ軍に占領された
沖縄の飛行場を攻撃するために
編成された精鋭の特別攻撃隊です。
隊長は若干26歳、陸軍幼年学校出身のエリート
奥山道郎大尉でした。
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昭和19年7月
サイパンが米軍に占領されたことにより
東京はB29の爆撃圏内に入ることになります。
その後B29が飛来するたびに、
日本の主要都市は火の海となり
一般市民の命が奪われます。
これを何とかしなければと考えられたのが
義号作戦でした。
既に制空圏、制海権を失っていた沖縄。
そこに強烈な対空砲火を浴びながら、強硬着陸。
B29を焼き払い戦闘能力を奪うという作戦でした。
昭和20年5月24日、それぞれの故郷に向かい
遥拝し、夕陽が美しい時間に12機168人が
熊本市健軍飛行場を飛び立ちました。
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硫黄島の戦いもそうですが、
当時の日本兵が守りたかったもの…
それは一日でも米軍による本土爆撃を遅らせ、
本土に残してきた家族、
特に女性や子どもたちを守りたい。
そして、それを何とか足がかりにして、
子孫を繁栄させ再び日本を再興してほしい。
その一心だったのではないでしょうか。
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「無謀な戦争だった」と
言われることもありますが、
しかし当時の歴史を見ると欧米列強が跋扈し、
アジアやアフリカでほぼ唯一日本だけが
自力で独立を保っていた時代。
英霊の方々が戦っていなければ、
私たちは存在しないどころか、
アジアやアフリカの国々も独立できず
未だに苛烈な植民地支配が
続いていたかもしれません。
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これからも学校や教科書では教えてくれない、
しかし日本人として忘れてはならない歴史を
党員の皆さんと共に学び、
子どもたちにも伝えていきたいと思います。