【1200年の畳文化を私たちの代で失なってもよいのか?〜貿易自由化とモラルなきグローバルビジネスがもたらした藺草の現状〜】

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先日は八代選出の亀田県議にお願いし、 住永県議、星野県議と共に 八代の藺草(い草)農家さんを 視察させていただきました。

1990年に5237件あった藺草農家は 現在224件にまで減少。 35年間で96%減になります。

昨年は約30件、今年は約40件の 藺草農家さんが辞められる予定だそうです。

後継者がいるところは、30〜40件ほど しかないと言われており、このままでは 数十年ではなく、数年先には消滅して しまう可能性すらあります。

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八代は国内最大の藺草の産地です。

地元の方に聞くと、昔は見渡す限り 藺草畑だったそう。

なぜこんなにも藺草が 衰退してしまったのか… 原因はいくつかあります。

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⚫︎藺草栽培の工程の煩雑さや困難さ。

い草農家の仕事は「苗の株分、植え付け、 収穫、泥染、乾燥、畳表にするために織る」 ここまでが農家さんの仕事です。

非常に大変なお仕事で、 且つ一人前の藺草農家になるまで かなりの時間がかかります。

⚫︎需要の低迷 不景気から住宅需要は低迷。 加えて、和室を作る人は減ってきています。 入れたとしても、プラスチックの畳か 和紙畳を入れる人も多いようです。  

⚫︎中国産い草の存在

元々、藺草は日本にしか 存在しませんでした。

しかし、1980年代に日本人が 安い労働力を求め、中国浙江省に 藺草を持ち込んだと言われています。 結果、産地の八代は大打撃をうけます。

1990年→2003年のたった13年で、 い草栽培面積は74%も減少。

多くの藺草農家が廃業、 自殺に追い込まれた方もたくさん いらっしゃったそうです。

更に驚くべきは廃業した 藺草農家の畳表を織る機械(織機)を 日本人業者が買い占め、中国へ輸出。 1990年〜2004年にかけて 7300台以上の織機が中国に輸出され、 八代のい草は更なる打撃を受けます。

現在、需要が低迷していることから 中国産畳表の輸入も減ってきていますが、 それでも日本の畳表生産枚数は 年間141万枚、畳表輸入量は502万枚と、 未だに約4倍輸入が多い状況です。

⚫︎和紙畳の存在

パルプの機械すき和紙を 樹脂でコーティングしたものになります。

藺草から作る伝統的なものとは異なります。 藺草特有の香りもありません。 (国が定義を曖昧にしていることが 問題だと思います。)

国指定重要文化財の寺社仏閣にも 残念ながら和紙畳が使われているところも あるようです。

. . 後継者も30〜40件ほどしかないことや、 ハーベスター、乾燥機などの特殊な機械を 修理する業者や部品が失くなってきている ことなどを考えると、熊本の藺草、 日本の畳文化は風前の灯です。  

県も県営住宅に八代の畳を入れたり 県有施設に積極的に使ったりは していますが、もっと全国的に 公共の施設で使っていくべきです。

(能登地震などの避難所では 入れられた畳の8割が中国産だったと いう話も聞きます。)

そして、このようになってしまった以上 国(文化庁)が「漆」と同様に知的文化財 として保護するべきだと私は思います。

また、熊本県民の私ですら 少し前までこの危機的状況を 知りませんでした。

まずは私たちが知ること。 一度失われてしまったら 二度と取り戻すことはできないと 現場に行き改めて感じました。 他の県議の方々とも協力しながら 私にできることを行って参ります。

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⚫︎2月には吉川りな衆議院議員と共に 農林水産省にヒアリングし、吉川議員に 質問主意書を提出していただきました。

https://sanseito.jp/news/n1438/

⚫︎熊本県議会からも2月議会で い草に関する条例が可決成立しています。

https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/231218_655492_misc.pdf

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